本町通六丁目町会

町会名の由来

その昔、現在の西町町会、新中野町会と本町通六丁目町会の辺りは、中野囲より西に位置する地区として西町と呼ばれていた。その後、人口が増え地域組織ができ、3町会に編成された。

当町会の区域は戦前までは「本町通り六丁目町会」という地番だったので、そのまま町会名としていたが、昭和42年青梅街道を境に、中央と本町に分かれた。町会組織の崩壊を懸念した町会員たちが町会名の響きは変えず表記を「本町通り六丁目町会」という町名から「り」の一字を抜いた現町会名に改めた。

町会の活動

  • ラジオ体操の後、子供と高齢者は初期消火、若手は軽可搬ポンプ操法の防災訓練
  • 敬老の日の婦人部員と小学生のペアによる記念品の宅配
  • 親子共同夜警
  • 新春餅つき大会
  • 町民誰でも参加のグラウンドゴルフ大会
  • 天神様境内での新入生お祝い会等の行事を通じ高齢者と子供達の交流


町内の祭礼

「西町天神」は正月5月9月の25日が「正五九祭」、2月3日が「節分祭」でこの神社を管理する3町会(本六・西町・新中野)の協力により約300人の参拝者で境内を賑わす盛り上がりとなる。

「氷川神社」の祭礼は、9月第2、土日の2日で、初日は天神社境内に青年部と子供会による模擬店が出店し、町内外の参加者で身動きもままならない程である。2日目は、大正時代に新調した都内でも5本の指に入るといわれる大神輿の渡御が中野坂上まで行われる。

都内の神輿友好団体や町内外の若衆250名程の協力参加を得た渡御の勇壮な様は一見の価値がある。(新中野との輪番)



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