(1) しがらき山の一本松
語り部:中村せい(明治39年生)
しがらき山の一本松は、堀之内街道沿いにあって、大きく枝を広げて日差しを遮っているためか、木の下はいつもジメジメしていたのを覚えています。
一本松の下の方は谷底のようになっていて、降りていくと清水が湧き、荒れ果てた東屋がありました。私はそこを「お曼陀羅屋敷」と呼んでぃました。その脇には小川が流れていて、緑風荘(昭和16年頃建築)の裏から杉並能楽堂の前の沼を抜けて、神田川へと注いでいました。
シジミやメダカを取り、神田川ではドジョウを、本郷たんぼではセリを摘んだりと、現在では想像もできないほどの自然がいっぱいでした。小川と言っても雨が降ると増水し流れが速くなり、昭和27〜28年頃だったと思いますが、落ちて溺れた人もいました。
私の家の辺りもいも畑や麦畑で、その先に安田邸の洋館がそびえていました。安田邸の脇の道は竹やぶで裸電球が薄暗く、提灯で足元を灯しながら歩きました。昭和の始めには、その道沿いにあった国鉄の跡地(和田1‐20付近)に汽車が置いてあったのを覚えています。
杉並能楽堂前にあった沼
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