1 青梅街道界隈
慶長年間に江戸の城郭や寺院の造営に使う石灰を産地の成木、小木曽地区(青梅の北)から江戸に運ぶために拓かれて以来、何回かの拡幅を重ね、現在のような幹線道路となりました。
江戸中期から堀之内妙法寺への参詣が盛んになるにつれ、この街道沿いも発展しました。鍋屋横丁と呼ばれるこの辺りは戦前までは多くの老舗が立ち並び、中野の中心的なまちとして発展してきました。
太田蜀山人が描く、文化文政(1804年〜1829年)頃の鍋屋横丁
(1) 昭和初期の洋食屋
(2) 兄ちゃんと通った路
(3) 鍋横始発の東横バス
(4) ターンテーブル(転車台)
(5) 東横バスの名残
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