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  鍋横物語
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第1章
第2章
1 青梅街道界隈
 (1) 昭和初期の洋食屋
 (2) 兄ちゃんと通った路
 (3) 鍋横始発の東横バス
 (4) ターンテーブル(転車台)
 (5) 東横バスの名残
2 道標のミステリー
3 堀之内街道沿い
4 十貫坂周辺
5 神田川
6 洋館
7 いろいろな商売
8 懐かしの映画館
9 神社
10 本の中にみる”鍋横”の記述
 
第3章
第4章


(5) 東横バスの名残

語り部:飯塚良司(昭和8年生)


 ターンテーブルがあった建物は昭和6年頃の建築で、現在は喫茶店になっています。
 戦後、バスが大型化され狭くなって入りきれなくなって廃止されたそうですが、当時の機械がそのまま店内の床下に残っています。昭和21年に店舗に改造して、東横バスの名前をとって東横喫茶店としました。2階は美容院になっていました。



◇バスの普及と東横バスについて◇

 関東大震災で、電車の軌道がずたずたに寸断されてしまったので、応急措置としてバスが登場し、住民の便利な足となっていった。大正13年1月の開通を皮切りに各方面に市バスが延びていき、中野区域にもバスがしだいに通るようになってきました。
 鍋横では、代々木バスが大正13年に開通し、幡ヶ谷バスを昭和3年に吸収合併し、東横バスとなった。本社は渋谷区にあり、本郷通3丁目と宮園通1丁目に営業所をおいていた。昭和初期の一区間の料金は5銭で車柄は新フォードを使っていたが、当時定員はわずか16名という小型のものであった。(中野区史より)

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