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  鍋横物語
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第1章
第2章
1 青梅街道界隈
2 道標のミステリー
3 堀之内街道沿い
4 十貫坂周辺
 (1) 十貫坂の由来
 (2) 十貫坂の地名が本の中に登場
 (3) 何事にもおおらか
5 神田川
6 洋館
7 いろいろな商売
8 懐かしの映画館
9 神社
10 本の中にみる”鍋横”の記述
 
第3章
第4章


(3) 何事にもおおらか!

語り部:安藤幸好(大正6年生)


 私かこの付近に住み始めたのは4〜5歳の頃で、現在中野通り(戦時中に強制疎開によって出来ました)になっている所に4軒長屋があって、そこで親父が煮豆屋の商売を始めたときですから、75年になりますね。
 この頃はまだ商店もまばらで殆ど原っぱでした。周囲に人が住んでいなかったから商売もなかなか大変たったけど、関東大震災(大正12年)後、下町の方から焼け出された人々が移って来て爆発的に住宅(人口)が増えて、息を吹き返しましたね。親も商売に忙しいから、弟妹の面倒を見ながらよく遊びました。
 近所付き合いも大らかなものでした2軒隣のブリキ屋で朝早くからトントン叩く音がうるさいんですが、「おっ!今日も忙しそうだな」と喜んだりして、今だと騒音だったんで大変ですよ。
 親戚や他地区の同業者からも「十貫坂の叔父」とか「十貫坂の伜」などと言われ、何でも『十貫坂の○○』で通るくらい知られていましたね。坂の両側はお屋敷(榎本武揚邸・安田財閥邸)で樹が繁り、下の方には沼がありましたよ。

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