(2) おせんにキャラメル
語り部:肥後正子(大正15年生)
私か子どもの頃の鍋横は原っぱが多くて、あっちこっちで盆踊りや草相撲等をやったりしてました。鍋横の交差点のあたり(中央4‐1)も原っぱが多かったけど、そこに「オデヲン座」という映画館があって、たしか最初は「ロマンス座」という名前でした。「本郷たんぼに行ってきます」と言ってはあっちこっちの映画館に行ってました。鍋横には古くから「城西館」や「中野館」という映画館がありましたが、戦時中の強制疎開で取り壊されてしまいました。
映画館の中では「おせんにキャラメル」といって売り歩いていて、たしか一銭であめ玉が3〜4個買えたと思います。
戦後、娯楽といえば映画ぐらいしかなく、立見がでるほど混んだときもありましたが、テレビが普及したせいかだんだん観客も減っていきました。
私もすっかり映画館に足を運ばなくなって、気が付くと鍋横に最後まで残っていたオデヲン座もなくなっていました。
※オデヲン座
戦後開館され、東宝映画の上映、洋画の封切館、洋画3本立てと変遷を経ながら昭和54年7月の閉館まで親しまれていて中央4‐1にあった。
≪タカラ館≫
現・中野通り沿い清和電機の処にタカラ館という映画館があって、「黄色いガラス」などの日本映画を2〜3本立でやっていました。(池田幸恵・上村りん:談)
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