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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
 (1) 五柱(ごしゃ)さんと親しまれて
 (2) 祠を廻って度胸だめし
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(1) 五柱(ごしゃ)さんと親しまれ

語り部:稲子知義(昭和11年生)


 銀杏に囲まれた五柱五成(ごしゃいなり)神社は、先祖が文政6年(1823年)に京都伏見稲荷大社から勧請を受け、屋敷稲荷として祀ったのが始まりです。祠(ほこら)とその前の道は、元々敷地内にありましたが、青梅街道へ出る抜け道として近隣の方を通してあげたところ、いつしか稲荷の存在が口コミで広がり、願いが叶うなどの評判が立ち始め、地域の人々に親しまれていきました。
 昭和20年5月鍋横が空襲を受けたとき、避難先の和田(杉並区)から家の方角の空が真っ赤になっているのが見えました。「焼夷弾で家は焼けてしまったかな」と心配して家に帰ってみると、家は焼けておらず、屋根だけでなく家の中にまで銀杏の葉がたくさん落ちていて戦火から守ってくれていました。「銀杏は火が近づくと水を噴くと聞いていたのは本当なんだ」と実感しました。
 今ほど高い建物が無かった昭和30年頃、銀杏の枝ぶりもすごく、ムクドリの集団が羽休めに来て「ギャーギャー」と鳴き声が騒がしく、またフン害にも悩まされました。有名な写真家が撮りにきたりもしました。群れが真っ黒い塊となって飛び立つのが遠くから見えたほどです。樹齢150年以上を経た現在でもビルの谷間で、地域の移り変わりを見守っているようです。

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