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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
 (1) 五柱(ごしゃ)さんと親しまれて
 (2) 祠を廻って度胸だめし
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(2) (ほこら)を廻って度胸だめし

 語り部:成瀬 光(大正9年生)


 青梅街道を走る西武電車の軌道は、鍋横の辺りでは道の中心より南側に寄って敷かれていたため道幅が狭く店の前は雨が降ると車の泥跳ねにより、商品が泥だらけになってしまうので、戸板を並べて防ぐありさまでした。昭和5年の拡幅により人道ができたなので、その悩みも解消されましたが、セットバックになり、家を新しく建て直すことになったのです。大家の徳田屋(材木店)の息子さんが外観の洒落た物を造りたいと、都心(神田)まで見に行って参考にしたらしいのですが、2階の窓が凹凸になっている変わった建物になりました。家の裏にある五柱五成(ごしゃいなり)神社で友達とよく度胸試しをして遊びました。現在の立派な社殿になる前は祠になっていて、鳥居をくぐってその裏を廻ってくるだけなのですが、とにかく怖かったのを覚えています。敷地はほとんど変わっていない筈なのに、今では考えられないくらい距離があったように感じました。当時は、ドイツ製の「ライカ」1台で家が建つという時代でした。写真好きの私は戦後になって、3軒先の写真店(長面堂)に入り込んだのがきっかけで、カメラ店を開いたわけです。



 
 ☆なぜ「稲荷」でなく「五成」
  五柱五成とは衣食住を中心に人間の生活を守る働きを持っている五柱(いつはしら)の神によって、家庭と地域社会の安心と安全を成就せしめるという意味だそうです。

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