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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
 (1) 遊び博士
 (2) 私と杉山公園 
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(1) 遊び博士

 語り部:阿部一雄(昭和8年生)


 「杉山公園」が誕生した昭和8年にこの近くで生まれ、現在まで共に時代を過ごしてきました。当時の公園にもブランコ・すべり台・砂場がありました。隅っこに植わっていたイチョウの木をハンモックにしていたこともありましたよ。この「ハンモック」というのは枝に縄を蜘蛛の巣のように張った、自分たちの手作りの品です。ガキ大将だった私は、その上で年下の友達に良いことと悪いことの分別を教えてあげました。そこに寝転ぶと、東の淀橋の浄水場や西の空に沈む真っ赤な夕日を眺めることができました。風の強い日は、杉並の方の原っぱで砂が黄砂のように舞い上がり、辺り一面真っ黄色になって先が見えなくなるほどでした。そんな想い出の詰まった木も、今は切り株が残るだけになりました。
 私の通っていた中野本郷小学校では男女別のクラスで、普段も別れて遊んでいました。憧れの女の子がいても遠くから眺めているだけ・・・そういう時代でしたよ。その頃流行っていたのは「水雷艇(すいらいてい)」という二手に分かれ、相手のチームとつかまえっこするゲームです。じゃんけんでいうとグー・チョキ・パーのように、学帽を前・横・後ろに被りわけることで誰が誰に強いかを示したんですよ。お金を使わずにいかに楽しく遊ぶか工夫を凝らして考えました。「子どもは遊び博士」とはよく言ったものですね

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