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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
 (1) バイタリティにあふれたPTA
 (2) 焼け跡に建った校舎
9 時代


(1) バイタリティにあふれたPTA

語り部:古澤浪子(大正14年生)


 昭和36年、息子が中野本郷小に入学すると共にPTAの委員を引き受けて以来2人の子どもが卒業するまで、長い間関わりました。1年生の運動会の時、校庭の2箇所にテントを張って、上級生と下級生の親に分かれ売店を出しました。初めてのことで何も分からないながらチラシを貼ったり、声を張り上げて呼び込みをして、経験のある上級生の売店より多く売り上げました。あとで「今年の1年生の親はすごい」と言われましたが、皆バイタリティがあったんです。また、中野区で初めて校庭にやぐらを建て盆踊りをしたこともあります。:大勢参加してPTAの役員が太鼓を叩いたり楽しかったです。
 昭和51年、中野本郷小の隣接地吉川邸(660坪)の売却話を、いち早く聞き込んで、すぐに中野区(学校)で買ってもらうように校長に話しました。それから、すぐに教育委員会の方で動いてくれたのですね。現在、自然教材園として自然と触れ合う学習に役立っている土地の取得に貢献できたことを喜んでいます。池の水を利用した水車を、宮里町会の大工さんが大変苦労して作ってくれたのが思い出されます。池にはおたまじゃくしが、うじゃうじゃいました。今でも周辺には蛙が多く、道などで見かけると、あの池から来たのかとひとしお可愛く感じます。



教材園のもとになった吉川邸の庭

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