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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
 (1) バイタリティにあふれたPTA
 (2) 焼け跡に建った校舎
9 時代


(2)焼け跡に建った校舎

語り部:戸田茂(昭和11年生)


 旧高等小学校の焼け跡に開校した二中に、昭和23年2期生として入学しました。その頃の校庭は末整備で、旧校舎の瓦礫が至るところに残っていましたが、野球部やバレー部等の部活動は行われていましたね。野球部だったので部活動の練習をしていると、身体の大きなホークスの選手が偶然通りかかったので、練習を見てもらったことがありました。すごく嬉しかったし、また、サインをもらう友達もいました。
 当時の二中は、学年により桃三小や本郷小等での仮校舎授業を受けていましたが、3年生になって校舎が増築され、やっと落ち着いた学校生活になりました。ところが増築された教室は6教室しかなく、3年生は7クラスで生徒達は当然もめましたね。抽選にしてはとか、いろいろ意見が出ましたが、その結果、G組の私のクラスが古い校舎にされてしまい悔しい思いをしました。
 放課後は野球をしてよく遊びました。バットもグローブもボールも全て手作りで、車の少ない頃でしたから道路でもどこでもが遊び場になっていました。二中周辺の家並みは今とあまり変わりません。NTT社宅があった場所には有島邸という立派な屋敷があり、当時アメリカ軍に接収され、東京裁判の関係者もいたと記憶しています。終戦間もない大変な時代を過ごした母校が、60周年を迎え感慨深いものがあり、今となっては懐かしい思い出となっています。

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