(3) 牛乳屋さん
語り部:須山千代子(大正3年生)
主人の実家は、昭和の初め頃まで桃園町(中野駅の南口の五差路付近)で牧場をやっておりました。私は結婚後、しばらくそこで生活していましたが、戦後現在の地に移り牛乳屋を開いて50年位になります。現在は、紙パックの牛乳が主流になっていますが、以前は牛乳ビンを契約をいただいた家庭に一軒一軒配っていました。
朝4時頃から配達の準備をし、多いときで1500軒位になりました。配達の人も10人位いて、うちの店と隣の新聞屋さんの自転車がずらっと並んだこともありましたね。その頃、周辺にはまだ魚屋さん、肉屋さん、八百屋さんといろいろなお店があり賑わっていて、生活に必要なものはほとんと揃っていました。市場も青梅街道沿いに3ヵ所程ありましたよ。
戦前は夜店が出ていて、桃園のほうからも出かけてきました。今では、この辺りはビルばかりになってしまい寂しい感じがしますね。
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