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  鍋横物語
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第1章
第2章
1 青梅街道界隈
2 道標のミステリー
3 堀之内街道沿い
4 十貫坂周辺
5 神田川
6 洋館
7 いろいろな商売
8 懐かしの映画館
9 神社
 (1) 本郷氷川神社
 (2)鍋捨横丁の由来
 (3)慈眼寺の石歩仏群
10 本の中にみる”鍋横”の記述
 
第3章
第4章


(2) 鍋捨横丁の由来

語り部:横田美桜多(明治45年生)


 この道は、かつては青梅街道から本郷氷川神社までの参詣道でした。昭和10年に中野新橋通りが青梅街道に直結してから、人通り少なくなりましたね。鍋屋の横田家とは親戚筋にあたり、鍋の一字と義父の横田捨五郎の捨と組み合わせて鍋捨の屋号としたそうで、横丁の名前になりました。お店は、現在、プリ・ヴェール新中野(本町4‐5)というビルのところにあって、大正から昭和の始め頃まで果物と駄菓子などを売っていました。果物屋といっても裏の畑一帯に柿の木があり、それを干し柿、樽柿にして売っていました。荷車が通るときに一休みしながら、これらを買い求め、お茶などを飲んだりしていたようです。




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