(1) 水車坂
語り部:小野和衛(大正8年生)
自宅近くに古くから「水車坂」と呼ばれている坂があります。大正13年に下町から越してきたときは、この付近はまだ関東大震災の住宅需要に応じた宅地造成が盛んでした。家の前の原っぱにはトロッコレールが敷設されていて、土木作業が行われていました。子どもの頃はこのトロッコで遊ぶのが一番の楽しみで、作業員の留守を狙ってはトロッコ遊びをしたものです。その頃、坂下の田んぼもすでに宅地化されていて、小屋はありましたが水車は見かけませんでした。この水車を回したという水流は現在でも残っています。この水車坂の謂れについては坂途中に掲示されています。
「この坂を水車坂という。往時この坂の東側は大きく崖になってこの窪地に水車があった事に由来する。水車を動かす水流は西町天神西方の弁天池の湧水が源流となり桃園田圃に向かって水路をつくり、田圃と台地接点を東流してこの坂下にきている・・・。」とあります。
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