(3) 西町天神社
語り部:戸上 信(大正11年生)
私が西町天神社の裏隣に住み始めたのは昭和25年です。戦後間もない頃で、まだ空地が目立っており、杉並との地境には溝もありました。当時の天神社は大銀杏やカヤの木が生い茂り、昼も薄暗い感じでした。昭和30年代の地下鉄工事の影響も受けず、境内の井戸は涸れることなく現在も使用されています。
天神社は、農民が五穀豊穣、家内安全の祈願のために、「水神の弁財天、豊穣・保食の稲荷神」をお祭りしたのが初めらしく、いつ建立されたかは境内の樹木に頼るしかありませんが、ほぼ400〜500年前と推定されているようです。古老から聞いた話ですが、信心の篤い人が戦地で被弾しても助かったとか、天神社や大銀杏を売ろうとした人には祟があったということです。
樹齢500年を超えると云われる大銀杏が昭和54年の20号台風で根株ごと倒れたことがありました。隣のカヤの古木に当たって杉並の駐車場側にそれましたが、まともに社側にきたら我が家も共に被害を受けたところです。原因は境内防火用水工事で木根を痛めたためと云われています。この大銀杏は躯幹の大部分を切断する蘇生術が効を奏し、秋になると銀杏拾いの人たちの姿を見かけるまでになりました。
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