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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
 (1) 昭和40年代の鍋横商店街
 (2) 福引の景品は三種の神器
 (3) 鍋横と本郷堂書店
 (4) 昭和40年代の鍋横商店街
 (5) 鍋屋横丁におけるある銀行の変遷 
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(4) 昭和40年代の鍋横商店街

語り部:小林ミツ(大正7年生)


 私が生まれる前、家族は文京区の本郷に住んでいました。関東大震災で家が焼け、翌年鍋横に越してきて、大正の終わりか昭和の初め頃に、父が「本郷堂書店」を開業しました。店名の由来は、文京区の本郷から鍋横の本郷の地に来たので、本郷堂と名付けました。中野本郷小学校関係の納品をしているので本郷堂かとよく聞かれますが、中野本郷小学校は昭和3年開校ですから、本郷堂のほうが古いのです。住いは、キセル占いで有名な茂木邸(現在の鍋横地域センター所在地)右路地を入った奥にありました。
 本郷堂の建物は新宿区柏木で開催された博覧会で使用した木造低二階建てを移築したもので、間口は4間(7.2m)あり鍋横商店街では広い方の店でした。この地域は戦災に遭わなかったので、戦後は一時、新山小学校・一中・二中などの教科書、文房具を扱っていました。父は、子どもさんが本の立ち読みをすると、ハタキを掛けたりしたので近所では雷親父で有名でした。その頃は私も店の手伝いで、十貫坂を下って、救世軍療養所や和田堀の大谷家まで本郷田んぼを越えて本の配達をしたものです。その後、教科書も無料配布となり、本の扱いも減ってきたので、昭和45年に家を建て直した際、店を二分して片方を貸店舗にし、本郷堂は昭和54年まで営業しました。

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