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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
 (1) 神田川の友禅流し 
 (2) 遊びの宝庫 本郷田んぼ
 (3) 子どもの頃の思い出
 (4) 情緒ある中野新橋
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(1) 神田川の友禅流し

 語り部:渡邉保彦(昭和9年生)


 家業は染物屋で青山に居りました。付近の川が汚染されて使用できなくなったので、祖父と父が清流を求めて適地を探し、私が5歳の昭和14年に現在の二中前の神田川畔に転居してきました。当時は、まだ家の周りは原っぱでした。川面に渡しを設けて、一反を二つ折りにした5メートルほどの長さのものを10反ぐらい川に流して手作業で反物のノリ落としをしました。一般にこれを友禅流しと言います。関東では友禅という言葉を使わず、江戸小紋という言い方をします。最盛期には同業者が、15軒くらいおりました。
 戦時中は仕事も減り、父も徴用になりましたので休業しました。戦後は絹物でなく、軍用毛布を赤や黒に染める仕事もし、その後、友禅流しも復活しました。昭和36年頃になると川に油が流れてくるようになり、水元作業(水を使用する工程)はすべて井戸水に切り替えて、川での作業はなくなりました。子どもの頃は、家から川に降りられたので、よく友達との川遊びに夢中になっていました。戦時中の焼け跡にあった焼夷弾筒などを川に沈めておいて鰻も沢山獲りました。もちろん全部、天然物ですよ。