(3) 子どもの頃の思い出
語り部:秋山 清(大正10年生〕
家族みんな鳥が好きで、孔雀をはじめ、きんけい鳥・おしどり・はっかん水鳥・ふくろう等と何種類も育てていました。
餌を賄うのが大変で、神田川近辺の田んぼで取ったイナゴは孔雀に、生垣のクモは小鳥にと餌とりに追われたものです。休日にはかごを持ち薮鶯を取りに大宮八幡に出かけました。わなを仕掛けて葉っぱで鶯の鳴き声を吹くと、薮鶯が近寄ってきてかかりまし。藪鶯も家の鶯と一緒に飼うと、いい声で「ホーホケキョ」と鳴くようになりました。沢山の小鳥を孵化しては欲しい人にあげたりしました。
今と違い、神田川の水はきれいで魚が豊富にいました。瓶どう(魚を取る道具)を仕掛けるとフナ・タナゴ・エビがかかりました。また、米上げざるで魚を追い込むとコイやウナギまでもが取れたものです。
他にもベーゴマ・ケン玉・転車台・梅屋敷などでよく遊びました。雪の日などは竹を焼いてスキー板をつくり十貫坂で滑ったことを懐かしく思います。
中野坂上まで見渡しの良い原っぱが続きオウト(大きなバッタ)を取ったりしました。現在の電話局は昭和初期に建てられたもので、近辺には青物市場や、みそ・しょうゆ・製粉などの製造会社がありました。中野館や城西館といった映画館もあり、鍋横を囲む辺りは区の中心地だったのです。
|