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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
 (1) 神田川の友禅流し 
 (2) 遊びの宝庫 本郷田んぼ
 (3) 子どもの頃の思い出
 (4) 情緒ある中野新橋
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(2) 遊びの宝庫 本郷田んぼ

 語り部:味岡常春(大正13年生)


 私の生まれた大正13年当時、この地は東京府豊多摩郡中野大字本郷といい、昭和5年には東京市中野区宮里町に変わりました。まだ木の香も残る中野本郷小学校に入学した頃でした。
 当時、学校にプールがなく、神田川と善福寺川の合流点にあった中野プールかブース病院近くの温水プールに通ったものです。日々の遊び場といえば本郷田んぼです。家に帰るやいなや、かばんを放り出しては出かけ、小川で魚やどじょう取り、稲田でイナゴや銀ヤンマ捕りをしました。春には一面レンゲ畑で女の子が花輪作りをしていましたね。大人が「ブーンブーン」と唸り凧の大きいのを空高く揚げていて、うらやましく見ていたのを覚えています。田んぼの南側は雑木林でセミやカブトやクワガタを取り、富士高の下の神田川の引き込みではイカダを浮かべ「ターザンごっこ」をしました。麻袋と竹の挟み棒を持った蛇取りが「坊や、マムシを見つけたら3銭あげるよ」と言って袋の中のヘビを見せてくれたりしました。とにかく本郷田んぼでは遊びに事欠くことなく、夢中になって遊んでいました。
 昭和20年の空襲では、この近辺も一面の焼け野原となり新宿まで一望できました。八重桜の大木2本は我が家の火伏せとなり燃えてしまいましたが、区の保護樹木である樹齢100年以上のシイの木は現存しており、今もこの辺りの移り変わりを見つめ続けています。

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