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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
 (1) 神田川の友禅流し 
 (2) 遊びの宝庫 本郷田んぼ
 (3) 子どもの頃の思い出
 (4) 情緒ある中野新橋
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(4) 情緒ある中野新橋

語り部:大野コマ(大正1年生)


 今も住んでいるこの中野新橋で、昭和28年から平成5年まで小料理屋を営んでいました。お店を始めた当時、この付近は三業地でした。三業地というのはね、芸者置屋・待合・料理屋の3つの業種が寄り集まっている地域のことをいうのですよ。ですからこの辺りにも黒塀で囲まれた料亭が何軒もありました。
 お三味線の音が絶えず、夜になると雪洞(ぼんぼり)の灯やお座敷に通う芸者衆の姿が見え、それは情緒のある街並だったのですよ。私の店では、満席になると常連のお客さんが作った縁台を表に出して宴会を始めるということが、ままありました。するとそこを通りかかった芸者衆がお酌などをしてくのでとても賑やかになりました。昔のことですからね、ギスギスした人もあまりいませんでした。近くに警察の寮があり、地方出身の方も多くいらっしゃいましたので、結婚式に親御さんが来られないときには、私か親代わりになって出席するということも度々ありました。昭和の初期から繁栄した中野新橋三業地も、昭和33年頃から徐々にその影が薄くなってゆきました。
 神田川の氾濫には苦労しましたよ。ひどいときにはお店のカウンターの高さまで水が入ってきたことがあります。現在は新橋から下流が拡幅されたので床上まで浸水することはなくなりました。

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