(1) 地図から甦る思い出
語り部:秋元 雅之助(大正12年生)
私は大正12年、関東大震災の年に生まれました。当家裏の岸上には、ドイツ語の先生だった權田邸(現鍋横保育園)、株屋・占い師たった茂木邸(現鍋横地域センター)、尺八演奏家の福田蘭童が一時期寄宿していた中村邸がありました。
当時の神田川流域は田んぼと湿地帯で、寿橋は木製だったために、台風や大雨の際にはよく流出しました。昭和8年に護岸の構築とともにコンクリート橋に架け替えられると、以降は水害にあっても橋が流されることはなくなりました。
また、現在の地下鉄車庫付近から富士高の台地にかけては田んぼと雑木林で、夏は蛍や小魚を夢中になって取ったものです。今は面影もなくなりましたが、氷川神社や十貫坂上の小道は樹木が茂って:いて夜には怖くて一人歩きは出来ない路でした。
今年、開校80周年を迎える中野本郷小学校ですが、私は8期生でした。当時は木造校舎で、冬になるとダルマストーブを使っていたのが懐かしく思い出され、卒業以来70年近く経ったのだなと感慨深いものがあります。
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