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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
 (1) 地図から甦る思い出
 (2) 梟や鶴のいるまち
 (3) 十貫坂上のむかし
 (4) 仕事は盗んで覚えろ!
8 周年行事を迎えて
9 時代


(3) 十貫坂上のむかし

語り部:中村銀司(大正13年生)


 私の父が、十貫坂上の現在地に酒屋を構えたのは大正7年頃でした。当時は原っぱが多く、家の前は三金広場と呼ばれ8歳上の兄たちの遊び場たったようです。前の道路も2間半の砂利道で、坂下の安田邸に皇族方が馬車でみえる時はその都度、砂利敷きをして手入れをしていたそうです。
 関東大震災後、多くの商店が建ち並び、料理屋、カフェーもあり、鍋横通りも十貫坂上まで賑わってきました。通りにはバスも通っていましたが、2台が行き交う時が大変で商店の軒下まで車体が入ってきました。この道路も昭和11年頃には拡幅されました。また、坂上から北へ、現中野通りは狭い路地でしたが、私か昭和21年に復員した時には広々と拡幅されていて驚きました。
 子どもの頃の遊び場は、なんといっても本郷田んぼです。1年中遊ぶことには事欠きませんでした。また、行楽は大宮八幡でした。ボート池、釣堀、プール等があり、花見時などは、棒にムシロを巻きつけ、その中に飲食物を巻き込んで担いで出かけたものです。

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