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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
 (1) 地図から甦る思い出
 (2) 梟や鶴のいるまち
 (3) 十貫坂上のむかし
 (4) 仕事は盗んで覚えろ!
8 周年行事を迎えて
9 時代


(2) (ふくろう)や鶴のいるまち

語り部:池田幸惠(大正8年生)


 昭和4年、10歳の時に父を亡くし、母と弟の3人で牛込から越してきました。周りは木々や竹が生い茂り、夜はとても寂しいものでしたが、その林の中に梟を見つけ、弟とはしゃいだこともありました。今の二中の辺りには私たちが「鶴の家」と呼んでいたお宅があり、家に居ながらにしてはっきりと鳴き声が聞こえましたよ。ご近所の離れに尺八の福田蘭堂先生が住んでいらして、時々大勢のお客様の賑やかな声が夜遅くまで聞こえました。
 榎本武揚さんのお屋敷は現在の富士見ハイムのところにあり、久留米絣の凛々しい若様のお姿をお見かけしたこともありました。
 池や築山がある大きなお庭をお持ちでしたので昭和20年の空襲のときには近所の方々とそこへ避難しました。大木の根元へ母を座らせ、すぐ駆け戻り家を守りました。風向きが変わり焼夷弾の落下位置がずれたお陰で命拾いをしました。
 小学校は桃園第四小(現中野神明小)へ通っていました。寿橋は本の橋で晴れた日には富士山が見えました。また中野通りは、でこぼこ道で切り通しの寂しい所もありました。それでも一人で通うことができたのは、いつも身につけていたお気に入りの赤いビロードの手提げと黒革の編み上げ靴のお陰だと思っています。

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