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  鍋横物語
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第1章
1 鍋屋横丁界隈の変遷と現在
2 道の変化とまち
3 神田川の想い出
 (1) 夏は蛍・・・
 (2) 川の深さは・・・
 (3) まちに生きている川
 (4) 富士高校の辺りは雑木林だった
4 むかしお屋敷、いまは?
5 時の流れを見つめて
6 なべよこめぐり
7 まちを彩るみどり
 
第2章
第3章
第4章


3 神田川の想い出


 江戸初期、徳川家康は大久保藤五郎忠行に江戸市民の飲料水として、上水を造るように命じました。水源を武蔵野の井の頭池にとって拓かれたのがこの神田川で、慶長19年(1614年)に開通しました。当時の川幅は4〜9mあり、ところどころで分流され水田を濯漑し重宝されていました。昭5、6年頃からたびたび護岸工事が行われ、今ではコンクリートで固められた風情のない川になってしまいましたが、以前は子どもたちにとって格好の遊び場となっていました。明治末期から昭和初期にかけ神田川で遊んだ想い出を、現在も鍋横にお住まいの方がたに話していただきました。


(1) 夏は蛍・・・
(2) 川の深さは・・・
(3) まちに生きている川
(4) 富士高校の辺りは雑木林だった
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