(3) まちに生きている川
安藤幸好・青水吉右工門・談
きれいな水には、たなごや鮒のほか、うなぎ、なまずなど、今では想像できないような魚が棲んでいました。また、きれいな川の水を利用した染色業が盛んでした。染めた布に残る余分な染料を落とす作業に神田川の水を使っていたのです。今もこの地域に染め物屋さんがあるのはこのような歴史があったからです。
一方、この一帯には畑が広がり、大根などの野菜が作られていました。これを使った漬物が産業の一つにありましたが、畑から採った野菜を洗うのにも神田川の水が使われました。
また、下流の淀橋の方には水車小屋があり、川の水を利用して脱穀や製粉なども行われていました。
自然のまま流れていた川は、まん中が深くなっていました。深いといっても、せいぜい大人のふくらはぎくらいの深さ。 それでも、川の中ほどまで入っていくのは大きな子どもたちで、小さい子は岸近くの浅瀬で遊びました。
こういう川での遊びの一つに[かいぼり]がありました。かいぼりは、川の流れをせき止め、中の水をすくい出して魚や虫などを採る楽しい遊びでした。もちろん、大きい子たちはこれだけでは力を持て余します。少し上流にある本郷堰は、泳ぐことができる深さの所があったので飛び込みや魚すくいなどの実力を発揮する場所でした。
また、神田川の周辺にあった田んぼには春になると一面れんげ草が咲き、少し大きくなった女の子たちは、その花を摘んでは冠や首飾りを作って、お地蔵様に供えたりして遊びました。
子どもが家業の手伝いで水汲みや洗い物も川を利用していました。そして冬になると下駄を使ってスケートのような遊びもしていました。
昭和26年に完成した木の栄橋
昔の神田川の様子が偲ばれます
平成6年の神田川
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