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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
2 商いを通して見た街
3 空き地は社交の場
 (1) 子どもたちの世界
 (2) 子どもの楽しみ
 (3) それぞれの想い出
 (4) 地域のリーダー
4 まちの情景・風物
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
第4章


(1) 子どもたちの世界

語り部:語り部:安藤幸好(大正6年生)


 

 十貫坂上から神田川にかけて本町5丁目辺りは一面畑だったんだがね、大正13年頃から、関東大震災後に下町方面から避難してきた人たちが、農地に家を建て始めたんです。結果ね、農家が畑作をやめ休耕田となった所が子どもたちにとって絶好の遊び場となったんです。
 春や秋の気候の良い時期は、三角ベース野球に夢中になり疲れるまで遊びました。家に戻っても疲れてないと遊んだ気がしませんでしたね。
 夏ともなると、当然に神田川での水遊びです。学校にプールが無かったので泳ぎはここで覚えました。富士高校のある高台は楢の木などの雑木林で、その下を神田川から濯漑用水が流れていました。畑に水を引かなくなり堰を止める、水が減った後には魚が一杯集まるんです、“掻い堀り”といって、ふな、鯉、タナゴ、どじょうが手で取り放題でしたね。
 みんな兄弟が多く、高学年ともなると弟妹の子守をしながら遊ぶというのが日常でね、友達が5、6人も集まるとあれよという間にもう30人位の集団ができるんですよ。その中で自然にリーダー(いわゆるガキ大将)が生まれます。子どもだけの秘密情報が先輩から後輩に受け継がれていきましてね、危ないところ、川の深いところ、栗の本のあるところ・・・なんでも良く知っています。小さい子が危なくないよう気を配る事も年長者の役目でしたね。その様子を見て育った子どもが、また次に受け継いでいくんですよ。それが昔の子どもの世界だったんです。

 

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