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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
2 商いを通して見た街
3 空き地は社交の場
 (1) 子どもたちの世界
 (2) 子どもの楽しみ
 (3) それぞれの想い出
 (4) 地域のリーダー
4 まちの情景・風物
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
第4章


(4) 地域のリーダー

語り部:神津賢一(大正13年生)


 昭和19年、本町6丁目に移り住んできました。その前にも本町6丁目に親戚の家があったので、この辺には子どもの頃よく来ていました。十貫坂の酒屋さん(足立屋)の前あたりにポテト(じゃがいもを揚げたもの)を売っている店があり、当時としてはハイカラで、おこずかいをもらって買っていましたね。
 越してきた当時は、西町の町会はなく、その前身の西町青年会で私は会長を務めました。現在の杉並区の富士見ハイムにグランドがありましたので、4つのチームを作り野球のトーナメント試合を開催しました。私は審判をしました。現在、行っているラジオ体操は、この頃子どもたちを集めて始めたものです。
 昭和25年頃でしょうか、西町青年会で、町内をぐるっと一回りしてから大宮八幡・府中の大国魂神社を通り高尾山までのサイクリングをしました。今ほど自転車が普及しておらず機能も充実していませんでしたが50人位の参加があったでしょうか。大体片道3時間位かかったのを覚えています。ご記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。



現在も続いている朝のラジオ体操(杉山公園)

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