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  鍋横物語
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第1章
1 鍋屋横丁界隈の変遷と現在
2 道の変化とまち
3 神田川の想い出
4 むかしお屋敷、いまは?
 (1) 杉山公園(旧杉山邸)
 (2) 中央西公園(旧土屋子爵邸)
 (3) 新日本製鐵社宅(旧安田財閥邸)
 (4) 富士見ハイム(旧榎本武揚邸)
 (5) NTT社宅(旧有島邸)
5 時の流れを見つめて
6 なべよこめぐり
7 まちを彩るみどり
 
第2章
第3章
第4章


(1) 杉山公園 (旧杉山邸) 本町6-15


 かなり広く、青梅街道と中野通りが交わった一角にある地の利と、東・南・西に高い建物がないため、一日中天気の良い日は陽が差している好条件から、現在、地域で最もよく利用され、親しまれている公園です。その成り立ちを、中野区が園内に建てた碑文の全文を引用してみましょう。

 「杉山公園の由来一杉山公園は明治の実業家杉山裁吉氏が令嬢みさをさんの病気療養のため、自然環境ゆたかな田園風景をもとめて居をかまえた所です。この地に移られてからの杉山氏は多年の事業から引退し、みさをさんのめい福を祈ると共に多くの子供達が健康ですこやかに育つよう祈願されました。大正14年に夫人が逝去されたのを機に邸宅、土地を当時の中野町に寄附し、親子三体の地蔵尊を彫った石碑を建立されました。昭和6年に杉出裁吉氏が逝去された後、昭和9年3月、東京都より杉山公園として開園されました。

 現在は中野区に移管され、日毎に増す交通事故から子供達を守り、またよき遊び場として地域のみなさんから親しまれる公園となっています。 中野区」


 公園の北側にこの地蔵三体は(まつ)られ、その左にある石碑には「杉山一家嗣なく血統絶ゆるも代々の精霊は永くここに鎮りて中野町の繁栄と其の住民の幸福を祈らむ」とあり、裏面には親族、田中算占氏が杉山裁吉氏の事蹟を綴った文章が刻まれ、昭和4年11月とあります。
 現在毎週2回区の巡回児童館が聞かれています。また、幼児グループのお母さんたちが子ども連れで集まっていたり、フリー・マーケット、バザーなども行われたりしています。早朝には有志の人たちのラジオ体操も行われています。ベンチに座ってお年寄りが日向ぼっこをしていたり、若い人が本を読んでいたりする姿も見られます。盆踊りや秋の祭礼、近隣町会の行事はもちろん、地域全体の行事などにも利用されています。年2回赤十字の献血車がやってくるのもこの公園です。面積は1、452.80平方メートルあり、中央西公園に次いで地域内第2位の広さを持ちます。



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