(3) 妙法寺への参詣道
杉並区にある妙法寺は、元禄5年(1692年)に目黒区碑文谷の法華寺から目蓮上人の木像を移して以来、厄除けに霊験があるとして参詣する人が増えました。江戸時代中頃、鍋屋のあった辺りで青梅街道から分岐する参詣道が新たに作られました。青梅街道から鍋屋横丁の交差点を左折して最初の信号を右に曲がる、環状7号線を突き切って妙法寺へと向かう道です。 ところが、明治22年(1889年)4月、新宿一立川間に甲武鉄道(現JR中央線)が開通すると、参詣客は中野駅からの道を゙使うようになり、この鍋横からの参詣道は寂れていきました。開通当初の甲武鉄道は神社仏閣への参詣、祭り見物、親戚訪問など特別の外出に利用されていたそうです。(「エポックなかの歴史30選」「中野区民生活史第1巻」参照)
妙法寺への道標(お題目石)
《大正末期から昭和初期にかけて》
唐沢政次郎・談
「しがらき」という料理屋があったと、野菜ものをいれていた親父から聞きました。甲武線が中野に入って、叶屋じん道ができた後は、堀之内の参詣客はそっちの道を通るようになって、新宿から青梅街道を通っていく人は少なくなってしまった、それで鍋屋もしがらきも「梅本」も3軒ともつぶれちまったそうですよ。しがらきは原っぱになっちゃって…。
田口ぎん・談
堀之内道はここいら(今の旧消防署通りから妙法寺参詣道へ曲がる辺り)を入っていくと、恐いみたいでしたね。今の女子美術大学から明愛幼稚園にかけての辺りなど、しがらき山と言って山でした。家なんかなくて、草が生えているので農家の人が牛をつないでおいて、夕方にはとりに行ってましたよ。
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