(6) 本郷田んぼの「あげひばり」
語り部:阿部豊(大正12年生)
昭和5年から72年間本町6丁目に住んでいます。この辺りは大蔵省や職業軍人、大地主のお宅が多く、そのせいかゴルフ場があったり(現女子美術大学)、乗馬クラブがありました。
昭和10年頃にはまだ、春になると本郷田んぼがレンゲ一色に変わり大人たちが、「あげひばり」を楽しんでいました。仲問同士で飼っている「ひばり」を竹篭に移して持ち寄り篭の口を開けて飛ばします。
「ひばり」は天空高く舞い上がりさえずり始め、やがて一直線に舞い戻って篭の中に入る。この「ひばり」の舞い上がる高ささえずり、滞空時間、篭の出入りなどを競っていました。子ども心にいかにものんびりした春の風物詩でしたね。
現在はその面影もありませんが、青梅街道の荻窪−新宿間に電車が通っていました。新宿のデパートに行く人が利用したようです。当時の電車と言えば、駅の間隔が近く、レールがガタガタ、パンタグラフが外れるアクシデントも多かったです。電車のレールの下に王冠や五寸釘を置いて、つぶしてはメンコや刀にして遊んでいるような子どもでしたね。
中野銀座と言われた鍋屋横丁を走る電車(中野町誌より)
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