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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
2 商いを通して見た街
3 空き地は社交の場
4 まちの情景・風物
 (1) 思い出がいっぱいつまったまち
 (2) 風情ある町並
 (3) 樹齢50年の桜 -氷川神社-
 (4) 親子二代で遊んだ崖
 (5) 中野通りのむかし
 (6) 本郷田んぼの「あげひばり」
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
第4章


(6) 本郷田んぼの「あげひばり」

語り部:阿部豊(大正12年生)



 昭和5年から72年間本町6丁目に住んでいます。この辺りは大蔵省や職業軍人、大地主のお宅が多く、そのせいかゴルフ場があったり(現女子美術大学)、乗馬クラブがありました。
 昭和10年頃にはまだ、春になると本郷田んぼがレンゲ一色に変わり大人たちが、「あげひばり」を楽しんでいました。仲問同士で飼っている「ひばり」を竹篭に移して持ち寄り篭の口を開けて飛ばします。
 「ひばり」は天空高く舞い上がりさえずり始め、やがて一直線に舞い戻って篭の中に入る。この「ひばり」の舞い上がる高ささえずり、滞空時間、篭の出入りなどを競っていました。子ども心にいかにものんびりした春の風物詩でしたね。
 現在はその面影もありませんが、青梅街道の荻窪−新宿間に電車が通っていました。新宿のデパートに行く人が利用したようです。当時の電車と言えば、駅の間隔が近く、レールがガタガタ、パンタグラフが外れるアクシデントも多かったです。電車のレールの下に王冠や五寸釘を置いて、つぶしてはメンコや刀にして遊んでいるような子どもでしたね。



中野銀座と言われた鍋屋横丁を走る電車(中野町誌より)

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