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  鍋横物語
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第1章
1 鍋屋横丁界隈の変遷と現在)
 (1) 鍋屋
 (2) 鍋屋の跡あたり
 (3) 阿波屋(本町4-44)
 (4) 阿波屋呉服店の角地と安田銀行
 (5) 写真で見る移り変わり
 (6) かさいや製粉の跡
 (7) 巴屋(本町4-21)
 (8) 映画館
2 道の変化とまち
3 神田川の想い出
4 むかしお屋敷、いまは?
5 時の流れを見つめて
6 なべよこめぐり
7 まちを彩るみどり
 
第2章
第3章
第4章


(8) 映画館


 鍋横地域には、戦前から人びとの娯楽のひとつである映画館がいくつかありました。スクリーンを通してその時どきのスターに憧れた方も大勢いらっしゃることと思います。残念ながら、それらの映画館もテレビが普及し、人びとの娯楽も多様化していくにつれていつしか閉館されました。現在は建物も残っていませんが、想い出は多くの人の心に残っていると思います。


a.中野館(旧本町通4−36、現中央4−2)

 日活映画の上映館として大正10年開館。旧消防署通りのせともの屋「小川園」の先先代が経営していました。高い建物は空襲の時に目標にされると言われて強制疎開され、閉館しました。
戦後は開館していませんが、なぜか映写室だけは残っていて昭和43年頃マンション建設のために取り壊されました。
 当時の鍋屋横丁の様子や、従業員がお花見に行った情景が撮影されたフイルムが鍋横地域センターに区の資料として保管されています。



昔懐かしい中野館


b.城西館(旧本町通4−8、現中央3 −32)

 松竹映画の上映館として大正12年開館。戦前は慈眼寺(じげんじ)の並びにありましたが、強制疎開によって取り壊され、戦後、中央3−25の辺りに開館しました。


C.オデヲン座(現中央4一1)

 東宝映画の上映、洋画の封切館。開館については本社(昭和24年創業)でも資料がなく、はっきりわかりません。隣の青果店の話によると、戦後、店を開いた時に、オデヲン座はまだなかったそうなので、その後の開館と思われます。閉館は、昭和54年7月13日。現在は駐車場になっています。




 
懐かしの映画館

(能勢小夜子 67歳・記)


 戦前、戦中、戦後から中野に向かって、青梅街道の北側に何軒かの映画館がありました。ほかに楽しみのない時代でしたから、遠くまで大人に連れられ休みの日や夜に(割引があるので)よく見にいきました。
 成子坂の途中の成子不二館は、東宝の映画を見たおぼえがあります。中野坂上には光風亭といって、芝居小屋から映画館に変わり、新興キネマの作品を上映していました。時代劇の大友柳太郎、南條新太郎、高山広子等の名が思い出されます。そして、中野警察から杉山公園寄りに城西館があり、松竹下加茂や大船の映画を上映していました。「雪之丞(ゆきのじょう)」の林長二郎、「愛染かつら」の田中絹代、桑野通子、森川まさみ、「浅草の灯」の高峰三枝子、時代劇の坂東好太郎、高田浩吉、川浪良太郎と懐かしい顔が浮かんできます。叔母が、もぎりを少しの間していたので、昭和1ケタの時から見に行きました。満員で通路に座って見たこともあります。
 休憩時間に「おせんにキャラメル」と(かご)を胸に下げて売り子さんが回っていました。どの映画館も小さくて、トイレの臭気も感じられるような小屋でしたが、人々の憩いの場所でした。
 追分通りには中野館がありました。日活映画が上映されていました。「暢気眼鏡(のんきめがね)」の杉狂児と轟夕起子、「土」の山本嘉一と風見章子、「宮本武蔵」の片岡千恵蔵と宮城千賀子、阪妻(ばんつま)嵐寛(あらかん)の時代劇には胸がどきどきしましたっけ。
 戦争の厳しさが身に染みる朝晩、空襲空襲のあけくれで映画どころではなくなり、殺伐とした日び。 3月10日の大空襲で、青梅街道の北側に住んでいた人びとの家は強制疎開で壊され、懐かしい人びとも散りぢりに去って行き、追い打ちをかけるように5月25日の空襲に遭い、すべてが消え去りました。昭和20年から50年近くたった今、古いい映画館が生きいきとして私の脳裏に(よみがえ)ったのは不思議な気がします。

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