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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
 (1) 拡幅前後の青梅街道
 (2) 鍋横交差点の角から
 (3) 清水窪
 (4) 近道は路地を抜けて
2 商いを通して見た街
3 空き地は社交の場
4 まちの情景・風物
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
第4章


(1) 拡幅前後の青梅街道

語り部:植野國男(大正6生)


 青梅街道が昭和4年に拡幅されることになり、米屋をやっていた私の家は道路になるということで立退きとなりました。拡幅前の道幅は10軒位(約18m)だったでしょうか。真ん中を西武電車が走っていました。雨が降ると道がぬかるみ自動車が通ると大変で、跳ね上がった泥が家の中まで入ってくるのを店の前に戸板を立て泥除けにしました。また淀橋のやっちゃ場(青物市場)に野菜を積んで行く馬車が何十台も通るので、道いっぱい馬糞だらけになってしまい、その片付けもっぱら子どもたちの仕事でした。
 拡幅後に道が整備されて歩道ができると、道を挟んで土・日ごとに交代でどちらか一方の側に夜店が出るようになりました。バナナの叩き売り、セルロイドのおもちゃ、着物の反物などを売る店が連なり、両端は必ず植木屋でお店全体の3分の1ほどありました。夜になると灯りに使うアセチレンガスの独特の臭いが漂っていたのが忘れられませんね。
 米屋は戦時中に配給制となり、私が戦後復員してきた頃には、継げなかったのです。海軍で電気関係についていたので電気店を始めました。当時主流の品物から店名を光(電球)、音(ラジオ)堂と名づけました。

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