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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
 (1) 戦前の鍋横は中野の銀座
 (2) 老舗−阿波屋呉服店
 (3) 昭和初期の鍋横交差点
 (4) 鍋横と東京パン
 (5) 昔なつかし東京音頭
 (6) 「ジュー」ソースにつけた串カツの音
 (7) 少年車掌
 (8) 昭和30年頃の三味線橋通り商店街と追分通り
 (9) 甘くて苦い仁丹の味
 (10) オドヲン座を語る
 (11) 私と追分通り
 (12) みんなで駆け回った追分通り
 (13) 炭の俵は長方形
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(13) 炭の俵は長方形

語り部:渡邉 時(大正10年生)


 昭和22年から追分通りで燃料店を営んでいます。この頃、都市ガスも通っていましたが、燃料の主流はまだ炭、まき、石炭でしたね。
 炭は俵(15s)に入っていて、のこぎりで短く切って売っていました。昭和30年代に電動が開発され、いち早く導入したので作業も楽になりました。その際、飛び散った粉で鼻の穴までまっ黒になったりして・・・・。たどんはこの粉を利用して作るんですよ。
 当時の追分通りは賑やかな商店街で、記憶をたどるとその配置は(図)のようになるでしょうか。中野館跡地には、戦災で焼け残ったコンクリートの映写室が昭和40年初め頃までありました。


(図)



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