(13) 炭の俵は長方形
            語り部:渡邉 時(大正10年生)
             
              昭和22年から追分通りで燃料店を営んでいます。この頃、都市ガスも通っていましたが、燃料の主流はまだ炭、まき、石炭でしたね。 
             炭は俵(15s)に入っていて、のこぎりで短く切って売っていました。昭和30年代に電動が開発され、いち早く導入したので作業も楽になりました。その際、飛び散った粉で鼻の穴までまっ黒になったりして・・・・。たどんはこの粉を利用して作るんですよ。 
             当時の追分通りは賑やかな商店街で、記憶をたどるとその配置は(図)のようになるでしょうか。中野館跡地には、戦災で焼け残ったコンクリートの映写室が昭和40年初め頃までありました。 
             
             
            (図)
              
             
             
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