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鍋横物語 (第4章)  
  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
第4章
1 鍋屋横丁界隈
 (1) 戦前の鍋横は中野の銀座
 (2) 老舗−阿波屋呉服店
 (3) 昭和初期の鍋横交差点
 (4) 鍋横と東京パン
 (5) 昔なつかし東京音頭
 (6) 「ジュー」ソースにつけた串カツの音
 (7) 少年車掌
 (8) 昭和30年頃の三味線橋通り商店街と追分通り
 (9) 甘くて苦い仁丹の味
 (10) オドヲン座を語る
 (11) 私と追分通り
 (12) みんなで駆け回った追分通り
 (13) 炭の俵は長方形
2 賑わいのあった鍋横商店街
3 銀杏が見ていた風景
4 地域の人の憩いの場
5 水車のある風景
6 川と田んぼ
7 地域センターの辺り
8 周年行事を迎えて
9 時代


(6) 「ジュー」ソースにつけた串カツの音

語り部:上島昌之(大正14年生)



 昭和10年頃のことですかね。鍋横の思い出はなんと言っても夜店ですね。毎週土曜日、日曜日と鍋横交差点を中心に特に北側の歩道にたくさんの店が並ぶんです。慈眼寺から追分通りの入り口付近まででしたが、子どもの頃にはずいぶん長い距離に思えました。
 夜店の明かりも電灯ではなく、カーバイトを燃やしたものでガスの臭いがくさかったのを覚えています。食べ物を売るお店が多く、いつも一銭持って行けば楽しめましたね。1銭でだいたいアメ玉2個くらい買えました。特に串カツの揚げたてを壺のソースに入れた時の「ジュー」という音とソースの香ばしい香りは今でも懐かしく頭に残っています。でも、1本の値段が2銭位で自分の小遣いでは買えなくて、親と一緒の時は買ってもらえるので、それが食べられるという喜びがありました。
 「コリントゲーム」というパチンコと似たゲームもよくやりました。玉を入れ、ゴムを弾いて目標に当たると飴や菓子がもらえるのです。そんな楽しみだった夜店も戦争が激しくなり灯火管制のためか開かれなくなりました。