(2) 老舗−阿波屋呉服店
語り部:江藤喜久子(大正12年生)
幕末から現在に続く呉服店の一人娘として生まれ、鍋横の店が空襲で焼失するまで、祖父母、父母と三世代で住んでいました。その後は焼け残った本町6丁目に居を移して以来60数年になります。戦後店は再開しましたが、商売の方は父母と主人がやっていましたので私は店の方に出ることはありませんでした。
祖父は大勢の使用人に対して、いつもブツブツと小言ばかり言っていました。ある日、落語を聴きながら笑っているのを見て、このおじいさんでも笑うことがあるのかとびっくりしました。
父は家ではかなりのしまり屋だったけれど、外では太っ腹で人情家だったようです。戦時中のこと、家作に住んでいる家から出征兵士が出ると、その家から家賃はとらないんです。私が、貰えばいいのにと言うと「女は財産のことに口を出すな」と叱られたりまた、食事がまずいなどと言おうものなら「そんなこと言わず、黙って食べろ」と怒られたりしました。
親戚の春雄さんとは年も同じだったし、家も戸を開けると庭続きだったのでよく遊びました。花火などをする時私は平気平気という感じですが、彼は必ず水を持ってくるような慎重さがありました。
そういえば近くにモダンでしゃれた洋食屋(菊屋)があり、よく連れて行ってもらいました。菊の模様とロゴの入った食器が珍しく、銀のナイフとフォークを使う洋食屋で、行くのが楽しみの一つでした。
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