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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
2 商いを通して見た街
 (1) 昭和初期の食料品店
 (2) 庭に残る石臼
 (3) 四つ目垣根に囲まれた植木場
 (4) 印刷ひとすじ
 (5) 美容室のお正月風景
 (6) 鍋横市場とせんべい屋さん
 (7) 芝居小屋
 (8) 質屋の利用も気楽に
 (9) 自動車修理も数少なく
 (10) ラジオは注文を受けてから
 (11) 花に囲まれて幸せ
3 空き地は社交の場
4 まちの情景・風物
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
第4章


(2) 庭に残る石臼

語り部:栗原武弘(昭和2年生)


 

 昭和12年頃まで、蕎麦粉の製粉所(屋号―河武)を代々家業としておりました。家の東側(本町4-47)に工場と広い蕎麦の干し場があり、いっぱい敷かれた上に蕎麦の実を干していたのを覚えています。それを工場で製粉しますが、石臼がたくさん並んでいて電気で動かしていました。当時、使っていた大(直径55cm)小(36cm)の石臼は、今でも庭に敷いて残してあります。出来上がった蕎麦粉は「日本一桃太郎印」の名で蕎麦屋さんに卸していました。

 曽父祖が中野銀行の設立者のひとりだったことで、祖父が触発されて世の役に立つ事業をと思い、昭和4年、現在の「新中野駅前郵便局」を始めました。以来父、私と三代にわたり局長をつとめてきました。当初は「中野新町郵便局」といって、青梅街道の北側の現・構造計画研究所(中央4-5)のところにありましたが、昭和6年、青梅街道の拡幅により南側に当たる現在地に移転しました。戦火を免れて、昭和42年の住居表示の改正まで「中野本町通5郵便局」の名で地域の人たちに利用されてきました。郵便局の名前も時代とともにいろいろと変わってきたのですね。



庭に敷きつめられた石臼

 

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