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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
2 商いを通して見た街
 (1) 昭和初期の食料品店
 (2) 庭に残る石臼
 (3) 四つ目垣根に囲まれた植木場
 (4) 印刷ひとすじ
 (5) 美容室のお正月風景
 (6) 鍋横市場とせんべい屋さん
 (7) 芝居小屋
 (8) 質屋の利用も気楽に
 (9) 自動車修理も数少なく
 (10) ラジオは注文を受けてから
 (11) 花に囲まれて幸せ
3 空き地は社交の場
4 まちの情景・風物
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
 第4章


(3) 四つ目垣根に囲まれた植木場

語り部:小川仲子(大正6年生)


 

 実家は、この地で関東大震災・戦争を無事にくぐり抜け、父が昭和33年に亡くなるまで植木屋をやっていました。西町花の公園の前一帯(現本町4-3)に植木場(育成畑)があり、周囲は四つ目垣根で囲まれバラの花が咲き乱れていました。

 植木場の中には、名古屋や兵庫県の産地で買い付けた松やモミジ、もっこくなどの樹木が植えられ、槙のつやのある葉がキラキラ光っていたのが心に残っています。樹木が産地から貨車で中野駅に届くと、トラックで取りに行き、一時畑に植えておき、その後得意先に届けていました。また、ダリヤ、百日草、小菊などの花も作っていて、母が朝霧の中、切り取り、ご近所に分けていました。花屋さんの少ない時代ですから喜ばれていたようです。

 暮れになると土室(温室)の中でお正月用の寄せ植えの鉢作りをします。梅の古木に福寿草、笹、松を植え込み、苔をつけます。父に「苔を持っておいで」と言われ弟と一緒に畑の端のほうから持っていったりしてよく手伝いました。ある時、土室の隅の蜂の巣をうっかりさわってしまい、頭や手を刺され、大泣きした痛い思い出もあります。



四目垣


 

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