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  鍋横物語
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第1章
第2章
第3章
1 道・街道・道路
2 商いを通して見た街
 (1) 昭和初期の食料品店
 (2) 庭に残る石臼
 (3) 四つ目垣根に囲まれた植木場
 (4) 印刷ひとすじ
 (5) 美容室のお正月風景
 (6) 鍋横市場とせんべい屋さん
 (7) 芝居小屋
 (8) 質屋の利用も気楽に
 (9) 自動車修理も数少なく
 (10) ラジオは注文を受けてから
 (11) 花に囲まれて幸せ
3 空き地は社交の場
4 まちの情景・風物
5 まちが変わる ―関東大震災・第二次世界大戦によって―
6 歴史を移す≪お題目石の移設≫
7 歴史を掘る≪転車台の現れた日≫
8 懐かしくありませんか?
 
第4章


(9) 自動車修理も少なく

語り部:高橋喜久雄(大正7年生)


 

 小学校6年の頃、新宿から引っ越して来て以来70年余り鍋横に住んでいます。近くに開校(昭和3年)したばかりの本郷小学校があり、近辺は窪地だったので葦が生えていました。家は少し高台にあり、辺りは一面原っぱで数軒の家が点在しているという感じでした。
 父親が自動車修理工場を営んでいて、青梅街道に馬車が通っていた頃ですから、同業者は新宿から吉祥寺の間にうちを含めて2・3軒しか無かったと思います。修理と言っても車の数が少ないから衝突事故などほとんど無く、まあ車軸が折れたとかエンジンの故障くらいですか。現場で直すか、工場に持ち込む場合はトラックにロープで牽引してきていました。鍋横で乗用車があったのは現在NTT社宅(本町5-28)になっている有島邸くらいでしたね。
 私は、父親の仕事をてつだっていたので余りこの近くで遊んだ記憶はありませんが、6歳下の弟は夏になるとよく神田川沿いにあった中野プールに行っていました。5銭もらってお釣りで駄菓子を買うのが楽しみと言っていたから、入場料は2銭くらいだったのでしょうか

 

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