(8) 質屋の利用も気楽に
語り部:石川 久子(大正4年生)
生後まもなくから、ずっと鍋横に住んでいます。父が質屋を営んでおり、子どもの頃、暮れになると正月用の着物を出しに来る人が多かったですよ。包んであった和紙をたたむのを妹と競争で手伝いました。大晦日は特に忙しく、午前2時まで店を開けてましたね。預かった品物は、10円以上は2階、10円以下は1階に保管してました。
昭和30年、父が亡くなり私が店を継ぐことになりました。昭和49年まで何とか続けてくることができましたが、お客さんが来るたびにドキドキしたものです。着物はまだいいのですが、時計等は見ても分からず、「今、主人が留守で・・・」などとごまかしました。
一度、金の指輪型印鑑を6,000円で預かったら、後で500円くらいの価値だと分かって大損しました。質屋というと、何か行きにくい所と思うかもしれませんが、当時、学生や近くの人でも、その日の飲み代のためなど気楽に利用していたんですよ。鍋横にも質屋がたくさんありましたが、今は少なくなりましたね。
廃業した現在も当時の蔵は残されています。
蔵の側面の通風孔はその扉の厚さからも頑丈さが伺えます。
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