(12) 出世稲荷(本町4-44)
高橋梅太郎・談
本社は、貞享4年(1687年)に京橋区南鍛治町にありました。それは、日本橋南之絵図・八丁堀・霊岸島文久3年(1863年)亥年再刻に記載されています。
当家の先代によって明治40年に京橋からこの地に勧請されました。戦前は誰でもお参りできるようになっていましたが、戦後の荒廃により稲荷の中まで荒らされたため、神主と相談の上、自宅の庭に祀り直しました。現在ある稲荷は、戦災で焼けたり、壊されたりしたので3回ほど建て直しているものです。この出世稲荷の出世とは、俗にいう「立身出世」の意味ではなく、世に出て人のためにつくすということです。
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