秋元雅之助氏は、子どもが健康に育つようにお地蔵様をたてましたが、戦争で焼けてしまいました。秋元家から津田家へ嫁いだ母は、娘(正治さんの姉)を亡くしたこともあって再建を思い、昭和24年に建立しました。そして、両家の名字である、秋元の秋と津田の津をとり秋津地蔵尊と名付けました。
敷地の左端に、ほとんど原型をとどめていない地蔵がありますが、これは再建前の地蔵の姿です。この地蔵に刻まれていた文字は、再建時には墓碑として再現してあります。