明治の実業家で北海道開拓事業に携わった杉山裁吉氏が娘の病気療養のため、自然環境豊かなこの地に居を構えましたが、療養のかいなく25歳で亡くなりました。その後、夫人も逝去され、それを機に邸宅を寄付することにし、親子三体の地蔵尊を彫った石碑を建立しました。 地蔵尊三体(舟型)の碑文には、「杉山一家嗣なく血統絶ゆるも代々の精霊は永くここに鎮まりて中野町の繁栄と其の住民の幸福を祈らむ」とあります。