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  鍋横物語
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第1章
1 鍋屋横丁界隈の変遷と現在
2 道の変化とまち
3 神田川の想い出
4 むかしお屋敷、いまは?
5 時の流れを見つめて
6 なべよこめぐり
 (1) 本郷氷川神社
 (2) 日の出地童尊
 (3) 一願地蔵尊
 (4) ちからさん
 (5) 秋津子育て地蔵尊
 (6) 指さし地蔵
 (7) 薬師堂
 (8) 出世地蔵
 (9) 五柱五成神社
 (10) 阿波屋の稲荷
 (11) 真言宗豊山派 慈眼寺
 (12) 出世稲荷
 (13) 杉山公園の地蔵尊
 (14) 五福稲荷
 (15) 廣島宅の稲荷
 (16) 西町天神
7 まちを彩るみどり
 
第2章
第3章
第4章


(16) 西町天神(中央5-19)

飯塚善太郎・談


 杉並区と境を接する位置にあり、もともとこの神社は境界を守護するという性格をもっていたと考えられます。 ここには水神弁財天豊穣保食の稲荷神が共に合祀されています。
 社の入り口にある大いちょう(公孫樹※)は、地上5mくらいから上がありません。江戸時代にはすでに大木として近在に知られていたこの木は、昭和54年の台風によって根株もろとも倒れてしまいました。何とかこの木を助けたいと考えた地域の人たちが費用を出し合って蘇生のための手当を行いました。その結果、幹の大部分を切り落とし切り口を保護するための蓋をかけた現在の姿になり、熱心な于当のおかげで今では実をつけるまでに回復しています。




※公孫樹
 公孫樹とは、中国古代の言葉で王家(公)も3代(孫の代)たたなければ立派になれないという意味を持ち、歴史を持ついちょうの尊称だそうです。


■祭礼 1月、5月、9月の25日


(遠山良徳 85歳・談)

 境内にある梅の木は実がたくさん成るので、梅干しにして防災用に三町会(西町・新中野・本町六丁目)で保存しています。また以前は湧き水※があり、弁天池と呼ばれる池がありました。当時は近辺にも湧き水が多く、井戸もたくさんありましたが、地下鉄工事のあと水が干上がってしまいました。
 この神社に燈籠を奉納した山崎又吉さんのことですが、周旋屋をやって財をなした人です。大地主で、今の都民銀行の裏の所に住んでいましたが、息子さんたちを次つぎに亡くして総領と末子だけが残りました。 そんなことがあったので神社などに寄進されたようです。東中野の氷川神社には鳥居を寄進されています。


※涌き水
 弁天池から流れる水が源流となり桃園方面に向かって水路を作っていました。一方、現在の中央西公園の方からも川が流れてきて、2つの川が合流する水の勢いで水車を回していたので、現在もその辺りは水車坂と呼ばれています。
 その水流は、桃園第三小学校の欅前周辺で幅広の浅瀬となり、さらに下流で桃園川と合流していました。今は、その名残として川のない橋(かうしん橋・大正13年1月26日成)が桃三小校門前にあります。

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     ☆        ☆        ☆

☆馬頭観世音尊(本町4-5)

松津昶夫・談

 以前は道路沿いにありましたが、家を建てるときに脇に移動しました。
この辺に馬やがあったと言われています。大正10年建立




☆神仏混合の七体(本町4-38)

(妹尾茂一・談)

 10年ぐらい前に夢を見て、丸い玉みたいなものをもらい、家回りをきれいにするように告げられました。自己流で七体お祀りして、きれいにすることを心がけていたところ、よいことが何回か続きました。行者さんに見てもらったところ、この辺を守ってくれる分身が降りてきていると言われました。一番に地蔵菩薩が、次に密教の水神様が降りてきたことを知らされました。)




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